貝塚市内出土瓦の概要−平安時代後期を中心として−


     貝塚市内出土瓦の概要−平安時代後期を中心として−  

『近木郷を考古学する−役所・寺・街道−』2002
2005/5/2。

 平安時代後期以降の瓦が出土することから、市内には当時期の寺院が多数存在すると考えられてきた。その多くは表面採取資料を根拠に理解されてきたのである。発掘調査が進むにつれ、塔跡を検出した地蔵堂廃寺以外は明確な寺院遺構は検出できず、この考え方に対して否定的な資料が蓄積されつつある。

 しかし、加治・神前・畠中遺跡(かじ・こうざき・はたけなか)における瓦窯の調査は、この状況に新たな展開をもたらした。推定されてきた「近木堂(こぎどう)」(藤原実資日記「小右記」に記載され、熊野詣の休憩所となった寺院。)に直接アプローチできる資料であり、地蔵堂廃寺との比較により当該時期の地域史を考える資料となったのである。また、瓦当文様を広域に比較することによって、工人集団の動きを考察するための一資料を得たのである。

 個別の寺院の具体相については今後の調査を待つとして、個別に紹介されることの多い市内各遺跡出土瓦について、比較検討のための集成を行う。今回取扱う資料は、発掘調査によって多量に出土した遺物を中心とし、文献等によって寺院の存在が推定できるもの、発掘調査資料を分析する上で必要な表面採取資料等を対象とした。時期は平安時代後期を中心とするが、市内最古例の秦廃寺、紀年銘を持つ新井・鳥羽遺跡、地蔵堂廃寺を含め、飛鳥時代から室町時代までを対象とした。図は実物拓本の1/4、鬼瓦は1/8である。(単純にスキャンしたので縮尺は変わっています。)

−解説−

図1
図2

秦廃寺
 貝塚市半田地内。伝承、文字記録、多量の瓦の出土によって、古くから推定されていた白鳳期寺院。平成10年、寺域推定地南部で実施された発掘調査によって、南北に通る道路に面して多数の掘立柱建物が検出された。寺域を直接調査したものではないが、これらの遺構群から確実に寺院が存在すること、出土した豊浦寺式素弁蓮華文軒丸瓦(1、2)からその創建年代が確定した。
 加治・神前・畠中遺跡、地蔵堂遺跡、堀遺跡から素弁蓮華文軒丸瓦が出土していたが、この調査によって当寺に関係することが判明した。各遺跡に分散した原因は中世の農地開発により、土と共に移動したと考えられる。
図3
図4
図5

加治・神前・畠中遺跡(近木堂跡)
 貝塚市畠中地内。文字記録、地名、瓦の出土から推定されていた平安時代後期寺院。推定地周辺の発掘調査では、平安時代後期から近世にかけての多量な瓦が出土していた。平成12年に実施した発掘調査にて瓦窯を検出したことにより、寺院の存在は確定した。創建瓦と見られる瓦当文様は当遺跡独自のものであるが、その後の時期は広い範囲で同笵・同文関係が追える。

図6

地蔵堂廃寺
 貝塚市地蔵堂地内。伝承等から永禄年間に焼失した「勝軍寺」が推定されている。昭和56、57年に実施した 発掘調査において、平安時代後期と考えられる地山削出基壇の塔跡を検出し、平安時代後期から江戸時代にかけての瓦が出土した。正応三年(1290)紀年銘軒丸瓦(101)、永享十年(1438)紀年銘丸瓦(100)、安四年紀年銘平瓦(102)が出土している。101と84は同文であり、実年代の基準資料である。

図6

新井・鳥羽遺跡
 貝塚市新井地内。伝承等から平安時代後期寺院が推定されている。昭和55年の発掘調査では、13、14世紀の遺構を多数検出したが、寺院関係の遺構は未検出。各遺構からは当該時期の瓦片が多数出土した。平安時代後期のものは少なく、ほとんどがそれ以降のものである。承元三年(1209)の紀年銘平瓦(111)が出土し、調整等の比較から104、107、108との組み合わせが考えられる。実年代の基準資料である。

窪田遺跡・窪田廃寺
 貝塚市窪田地内。字「小薬師」から平安時代後期瓦が採取され、当該時期の寺院が推定されている。周辺遺跡を含め、発掘調査では寺院関係の遺構、遺物はない。採取された宝塔文軒丸瓦、複弁蓮華文軒丸瓦は、他遺跡で同笵・同文のものが出土している。

長楽寺跡
 貝塚市脇浜地内。伝承、瓦の出土から平安時代後期寺院が推定されている。市立小学校建設時に大幅な削平を受けたため発掘調査では明確な遺構は未検出である。宝塔文瓦が採取されている。

明楽寺跡
 貝塚市沢地内。伝承、瓦の出土から平安時代後期寺院が推定されている。これまでの調査では、集落跡、農地跡は検出しているものの、寺院関係の遺構は未検出。同町内の宝蔵寺に当遺跡出土と伝える仏像文瓦がある。



参考文献
1.(財)大阪文化財センター1976『都市計画道路貝塚中央線建設予定地埋蔵文化財試掘調査報告書』大阪文化財センター調査報告XIV
2.(財)大阪文化財センター1980『大阪府都市計画街路貝塚中央線新設工事予定地内 脇浜・畠中・石才近義堂遺跡試掘調査報告書』大阪文化財センター調査報告XXXIII
3.(財)大阪府埋蔵文化財協会1986『畠中遺跡』(財)大阪府埋蔵文化財調査報告書第7輯
4.大阪府教育委員会1978『畠中遺跡発掘調査概要・T』大阪府文化財調査概要1977
5.大阪府教育委員会1982『脇ノ浜・畠中・近義堂遺跡現地説明会資料』
6.大阪府教育委員会1997『秦廃寺・麻生中下代遺跡発掘調査概要』
7.貝塚市役所1955『貝塚市史』 第1巻 通史
8.南川孝司1977『貝塚の史跡』
9.貝塚市教育委員会1980『貝塚の寺院(I)』貝塚の文化財第5集
10.貝塚市教育委員会1981『貝塚の寺院(II)』貝塚の文化財第6集
11.貝塚市教育委員会1979『貝塚市遺跡群発掘調査概要I』貝塚市文化財調査概要1978
12.貝塚市教育委員会1980『貝塚市遺跡群発掘調査概要III』貝塚市文化財調査概要1980
13.貝塚市教育委員会1982『貝塚市遺跡群発掘調査概要IV』貝塚市埋蔵文化財調査報告5集
14.貝塚市教育委員会1983『貝塚市遺跡群発掘調査概要V』貝塚市埋蔵文化財調査報告第7集
15.貝塚市教育委員会1986『地蔵堂廃寺跡発掘調査概報』貝塚市埋蔵文化財調査報告第10集
16.貝塚市教育委員会1989『貝塚市遺跡群発掘調査概要IX』貝塚市埋蔵文化財調査報告第18集
17.貝塚市教育委員会2001『貝塚市内遺跡発掘調査概要』貝塚市埋蔵文化財調査報告第56集
18.貝塚市教育委員会2001『加治・神前・畠中遺跡発掘調査概要10』貝塚市埋蔵文化財調査報告第59集
19.拙稿1997「貝塚市出土飛鳥時代の古瓦」『摂河泉古代寺院論集 第1集』摂河泉古代寺院研究会、摂河泉文庫

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