いろいろ 貝塚寺内 町屋建物3
 貝塚寺内 町屋建物3


     貝塚寺内 町屋建物3         2003/ 1/ 3  2/22写真追加  6/9竹本家追加

山田家住宅  平成14年12月6日 登録文化財に答申される
堀之町筋北側に位置し、ト半家家来であったという。現在は明治以来の古美術商を営んでいる。

敷地は間口8間、奥行12間で主屋は間口一杯に建ち、主屋背後に2階建の離れが建つ。離れの位置にはもと納屋があり、その背後は大正期までは竹薮であったという。

間取は帯谷家住宅と同じ五間取。現在の上段の座敷は後の改造で、2階座敷もこの時のものであり、当初はツシ2階造である。なお、大戸口には揚戸装置を残す。ミセの表側は蔀戸であったらしい。

19世紀中頃の建築とみられる。近年表側を全面的に改装したが、伝統的形式を採用していて、今後の参考となろう。

山田家

積極的に公開されている態度に感謝です。ケーブルテレビでは定番のお宅です。



広海(ひろみ)家住宅  平成15年3月20日 登録文化財に答申される
屋敷地は東西約73m、南北約36mの一街区(一部他家屋敷)650坪余を占める。北街路に面し東より5間が付属屋(隠居屋か)、続く13間が本屋で一続きの屋根が架かる。他に倉庫や収納蔵などの付属屋がこの一画を囲み、西の海側には中央に船の出入りをみ張る2階建ての望楼が設けられている。

左手の隠居屋と右手の本家は本来別構造で、屋根は現在のように一続きではなかったものと思われる。隠居屋は復元すると、中央に通り庭を取り、左右に前後2室を配し、左手はシモミセの扱いであったと思われるし、右手奥の室妻側は柱をみせ、床のようなものは設けられていなかったとみられるので、本来隠居屋ではなかったように思われる。

本家は部分的改造に止まり、旧状をよく残す。間取は2列3室の六間取に4室の座敷を付加した形式で、左手に2室続きのシモミセがある。土間寄りのシモミセはもと6畳で、大戸口を入った土間幅は今より半間広がっていた。ダイドコロは1間土間へ張り出し、土間境を開放し、2列3室部分の上部に居室を設け、ナカノマ上部の室は土間境に格子窓を設ける。ダイドコロ背後の室は床を有し、ダイドコロ境の押入は框を一段高め、ザシキからの縁正面壁に丸窓を開けて飾る。主人の居間であろう。広い土間は屋根裏をみせ、居室中央間の両脇柱通りに桁行長さ5間に及ぶ大梁を渡し、1間毎の水平梁を受け、両側柱か ら登り梁を架ける見事な構成をみせる。ザシキ上部はすべてツシとし、登り梁構造としている。記録によると安政5年(1858)に焼失し、文久元年(1861)に再建されている。廻船問屋として極めて貴重なものである。

広海家

>西の海側には中央に船の出入りを見張る2階建ての望楼が設けられている。
望楼の左右にあった蔵は1990年頃に取り壊されました。
阪神淡路大震災での被害のため、屋根の修復が行われています。

近世末から近代にかけての大阪の商業史を語る上で、欠かせないお家です。



宇野家住宅  平成14年12月6日 登録文化財に答申される
屋号を金屋と称す。安永7年(1778)に鋳物師株を有し、寛政8年(1796)には京都御所に仕えた真継家の免許を得た。安政2年(1855)京都御所へ鉄燈籠を造進し、代々鋳物業を営み現在に至る。

敷地は南北約53m、東西約60mを占め、敷地として最大級に属する。主屋はその北西隅に旧紀州街道に面して建ち、その裏手に鋳物工場が建ち並び敷地を画する。中央工場は最近の建築であるが、他は大正期以前で、特に東端の工場は江戸中期に遡る。

主屋は桁行9間、梁間7間、居室側妻を入母屋にした片入母屋造で、土間側は切妻の落ち棟にして外観を整える。主屋左手奥に落ち棟の座敷が続き、座敷左手及び背後に茶室が建つ。一部の改造を除けばよく原形を保つ。間取は2列3室型の六間取に角屋座敷が取り付く形式。座敷次の間(仏間)の前面に入母屋造の玄関構えを設けるが、式台は設けられていない。式台構えが禁じられていたのであろう。入口土間右手はシモミセで、その右手は前後に3区分されていたらしく、前2室上部には2階が設けられる。製品の収納か鋳物師の居住空間であったのであろう。構造は広海家住宅と同じ手法を取る。

安政の地震の時に建築されたというが、ほぼその頃とみてよかろう。鋳物工場の古い建物が相当痛んでいるが、主屋を含めてこれだけの工場を残すのは極めてまれであり、貴重なものである。

宇野家

現在も工場をされていますし、お家も残っている。感動ものです。



竹本家住宅  平成15年3月20日 登録文化財に答申される
竹本家(西町)住宅は、貝恷專烽通る紀州街道を西側に1本入った住宅地の、道路が食い違いに交差する角地に位置している。当家の周辺には古い住宅が残り、歴史的景観が比較的残されている地域といえる。

竹本家は、古屋を購入して内部を改築して住宅として使用されている。当主からの聞き取りでは、もと北側道路に面して4.5畳の座敷が3室並び(最奥の座敷には1.5間の押入が設けられていた)、その反対側に6畳、3畳、6畳の座敷が並ぶ、2列3室型間取りであったという。当初住人の職業は不明であるが、周辺の商家の間取りとは明らかに異なっている。当家の東側の無双窓から貝恁莓V願泉寺がみえることから、寺役人もしくは下級武家住宅であった可能性も考えられる。明確な創建年代はは不明であるが、立ちの低い外観、木割りの太い無双窓、瀟洒な出格子や与力窓などから、江戸時代末期の建築ではないかと推察される。

当主は、同家住宅改築に際しては古木を使用し、特に外観は周辺になじむようにと出格子や無双窓を残し、2階増築に際しても通りから目立たないように奥に増築するなど、街並みの保存に努力しており、歴史的景観の破壊が進むなかで貴重な存在といえる。

大阪人間科学大学助教授 一級建築士 植松清志氏 所見

竹本家

外観の殆どを古いまま残し、中も別の家の古材を使って改築なんて、粋なご主人ですよね〜。



写真が紹介されているサイト
「貝塚市の町並み」   七ちょめさんのサイト
「貝塚御坊(願泉寺)と寺内町」   松ちゃんのサイト

余談ですが、もうすぐ寺内の夏祭り、盆踊りです。この機会にお越しいただくのもいいかも!
  1.「ふとん太鼓」貝塚宮 平成14年7月19日(金)、20日(祝)
    寺内の氏神、感田神社の氏子町7町よりふとん太鼓と呼ばれるみこしが出される夏祭です。
  2.「貝塚三夜音頭」感田神社境内 平成14年8月14日(水)、15日(木)午後9時から
    地元の保存会によって運営されています。独特な踊りです。貝塚市指定民俗文化財。

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