うだ話22


     うだ話22  古文書と考古学

この前の関西近世考古学大会シンポでも、「発掘調査の成果で、古文書分析の成果がひっくり返される。」って発言がありました。中世、近世はこれまで、そうだったかもしれませんが、私がフィールドにしているところでは、この逆がありそうなので、びくびくしています。近世は。

先の発言の元は、古文書で良い資料がなくて、少ない資料でいろいろ操作して研究、分析していることも、たった一つの発掘調査成果で、極端にいえば、土器片1点で、それまでの分析結果を考え直さないといけなくなる。発掘調査が多くなったここ20年ぐらい、文献史学ではよくいわれることですね。

通常、市史を編纂しても扱う古文書の数は3万点とか4万点くらいです。地方(じかた)文書なので時代は古くても中世末、大部分は近世です。よって、古い時代は地元以外の少ない資料から歴史を語ります。古文書のある近世は地方文書で結論なり導き出しますが、これもなかなか大変です。地域的に偏っていたりしますので、発掘調査数例で結論が変わることがよくあります。

ところがです、私のフィールドにしているところはちょっと変わっていて、地方文書が非常に多いのです。1家の旧家で1万点なんて古文書が出ることは当たり前。多いところになると7万点なんてことになります。まだ完全に把握はできていないのですが、近世だけでみても、20万点以上あることが予想されます。近代(明治末まで)を含めると30万点をこえるかもしれません。

こうなると逆に考古学の分析、研究の方が危うくなります。発掘調査例を懸命に分析して結論をだしても、たまたま古文書調査に入ったお家からそのことが書かれている文書がみつかったら、考古学を駆使して導き出した結論が水の泡!私がやってる貝塚寺内とか和泉音羽焼なんか、「このときに誰の指導でこういう風に開発した。」、「この人がはじめて、こんな感じに作っていた。」「どこそこに、土瓶をいくらで何個売った。」とか書かれていると、それまでの研究はすっ飛びます。この可能性は十分あります。

よって、古文書の調査の進展が非常に気になりますし、古文書、考古資料を同等に扱うクセがつきました。

古文書がなくて、検証できない地域でも、このことは常に頭において、発掘調査、分析にあたる必要があると思いますよ。近世のことを主に書きましたが、そのほかの時代も、考古資料ではこうなるが、本当にそうなのか?常に疑う。

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