うだ話40


     うだ話40  「近世初頭における斃牛馬処理・流通システムの変容」に対するコメント

松井章「近世初頭における斃牛馬処理・流通システムの変容」
  考古学研究会2004『文化の多様性と比較考古学』考古学研究50周年記念論文集

これまでほとんど取り上げられることがなかった斃牛馬(へいぎゅうば)処理を、正面から取り上げた点、評価できる。類例の検討を通史的にとらえた点、文献史料の踏査など、これまで知られていないことを明らかにされたことは、動物考古学のみならず、部落史(被差別部落史)研究においても非常に有益であると考える。

しかし、結論には同意しかねる。

>中世集落における牛馬骨を投棄した土坑や溝が、近世になると姿を消すことに注目したい。
>斃牛馬処理権の確立により原皮、細工用の骨、肥料用の骨、肉なのどの利用が進み、それぞれの流通システムが確立した結果生じた考古学的現象であると言える。

評者は、大阪府貝塚市東遺跡との関わりの中で、遺跡のあり方を検討した。狭い範囲での検討であるが、近世において被差別部落であった集落のすべてが、文化財保護法にある「周知の埋蔵文化財包蔵地」に登録されていなかったのである。よって、近世に姿を消す現象は、考古学的な現象ではなく、単に当該場所を発掘調査していない結果である。

近世において、動物を扱うシステムが確定するにも関わらず、その人々の集落を発掘調査しなければ、発見できる可能性はOである。また、特定できない問題もある。有名な「渡辺村(大阪府大阪市)」は為政者による移転命令を受け、その所在については長らく不明であった。近年、大阪市、(財)大阪市文化財協会の努力により、ほぼ特定されつつある。しかし、発掘調査成果としてはほとんど確認されていないのが現状である。

具体的に調査のメスが入っていない状況にあるにもかかわらず、「近世になると姿を消す」という現象を事実であるかのように説かれても肯定はできない。

大阪府下に関しては、この秋(2004年)に刊行予定の『大阪の部落史』資料編1に文献史料、発掘調査による動物骨出土集成が掲載されるので参照されたい。

文献史料によって、様々なあり方が説かれている。評者の狭い範囲の認識ではあるが、少なくとも大阪南半では、骨の流通は文献史料では見いだせない。また、農業史の観点で見ても、もっとも重視された肥料は干鰯(金肥)であって、大豆カスを使用するのが通常である。よって、根拠として出された史料は普遍的な根拠とはならず、特殊事情であると言えよう。特に島津家のあり方について、琉球、中国との特殊事情と考えた方が良いと言えるのではないか。

以上、評者の稚拙な知識においての反論ではあるが、少なくとも大阪府下においては、筆者の説かれる状況は確認できないことは明らかである。今回、はじめて知った資料もあり、反論するばかりでなく、確認作業を含め、評者も分析を行いたいと考える。

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