うだ話46


     うだ話46  囲形埴輪

> 以下所論では、前段で導水施設及びそれを模して造形化された囲形埴輪に関する考古学的事実を整理し、重要と思われる論点を自分なりにまとめて問題点の顕在化を図る。 (太字に変更は評者)

引用は、
穂積裕昌「いわゆる導水施設の性格について−殯所(かりもがりじょ、もがりじょ)としての可能性の提起−」
『古代学研究』166 2004/9 古代学研究会
「I.はじめに」最後の段落前半です。

模してと言う部分がどうしても気になるのです。「はじめに」を通じて、遺構の導水施設=囲形埴輪というスタンスなんですが、私にはそうとは思えない。

うだ話でも以前書きましたが、2003年に奈良県立橿原考古学研究所附属博物館での展示会『カミによる水のまつり』を見て、完全に違うものだと確信しました。それまでは漠然と考えていたこれらの遺構、遺物ですが、模型や資料集成していただいたあの展示は非常に有意義でした。あの時は「囲形埴輪=トイレ」としましたが・・・。

トイレ説はいわゆるトンデモ説と言われるでしょうが、以下ではなぜ違うかを説明します。

これらの遺構、遺物は現状それほど普遍的に発見できるものではないので、さらに類例を探す、発掘する必要があります。しかし、発見されている例を見ると、ためる部分以外はすべてことなっています。

導水施設
1、上流に一定石組の貯水池等を持ち、そこから木樋まで水を導き、その下流に流す。
2、木樋の部分の囲繞施設が明確でない。

囲形埴輪
1、木樋なりの表現は見られるものの、その上流の表現がない。
2、塀、建物と顕著な囲繞施設が表現される。

この2点にしぼっただけでも、全く違うとは言えませんか? 水という観点からすると、導水施設はその名の通り、水を導いてくる施設=上水施設=上水道。囲形埴輪はためてから流す=下水道。

木樋が重複する以外全く違うように見えるのは、私だけでしょうか? 木樋も、宝塚1号墳のものは木製のものと類似していますが、心合寺山古墳のものは単なる床の切り込みにしか見えません。よって、唯一重複すると思われる木樋の部分も、違いとしたほうがいいかもしれません。

このように、詳細に観察するまでもなく、全く違うものという感じが強いのです。それを同一視して考えるのは納得できません。分離して考えなければいけないものです。

今回引用したものは、先行研究における推定の結論を批判し、囲形埴輪だけを取り出し、違う観点から分析しようとした点では評価できます。しかし、常に導水施設=囲形埴輪では、いかんともいがたく・・・。

ものを純粋に観察すると、私的にはこうなります。だからいつも言っているんです。ものがちゃんと理解できているか・・・。

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