うだ話48


     うだ話48  関西近世考古学研究会 第16回大会参加記?

各地での発掘調査成果、分析の到達点、問題点がよく分かった発表であった。考古学成果だけでなく、古文書、絵図資料を積極的に取り入れたものとなっている(事務局側からのお願いだったそうな)。これまでは個別の遺跡で実施されてきた考古学成果以外との資料対比が、発表された遺跡すべてで行われたことは十分評価できるものである。

だが、基本的な部分で気になった点をあえてここで述べる。

1、文献資料の取り扱い

先に、分析において取り入れた点を評価したが、その扱いに問題を感じた。

関係すると思われる資料を網羅して、それをそのまま発掘調査成果とすりあわせることは問題を持つのではないか。まずすべき資料批判を行わず使用している点に理解できないものを感じた。特に絵図資料における街家表現については、全く批判なし、事実であるがごとく利用されていた。

評者は以前、17世紀中頃の絵図資料を分析し、その街家表現がパターン化して描かれていること、その表現をそのまま信じることはできないことを明らかにしたことがある。

今回示された絵図資料の中にも、街家表現がパターン化して描かれているものもあり、資料批判なしに利用することは非常に危険であると考える。

大会内容決定から、資料の作成、入稿まで半年足らずの短い期間であり、十分な検討時間が無かったためにこのようなことになったと思われる。今回、一定の資料踏査はできたものと考えるので、今後は文献史学者とのディスカッションを重ね、さらなる検討、分析を期待したい。

2、尺貫法

資料集をみると、一間幅が何mで六尺五寸であると明記されているものもあるが、口頭発表では一間六尺五寸ですと、いきなり尺貫法での表現がままあった。

時代や地域によって一尺の単位に変化があることは知られている。また、発掘調査でも礎石が抜かれているものがほとんどであり、柱位置は明確ではない。柱芯の分からない状況下で、いかに一間幅を計測することが可能であろうか、推定の域をでないのではないか。

古文書、絵図資料との対比のため、尺貫法を使用する気持ちは理解できる。しかし、一間幅が明確にできない現状では、やはりメートル法による推定、計測、表現を優先し、データ収集に集中する方が先と考える。

討論会の冒頭で、発表者各自の一尺を何cmとして考えているかがまず問題になった。この段階で混乱が生じていたことは明らかである。このようなことをさけるためにも、まずはメートル法による表現が必要であると言えよう。



永井規男氏 「近世的な住まいができるまで」 要点

1、室町後期から江戸初期の住居他は実物が残っていないので分からない。あるのは寺社建築。
2、実物がないので、美術史(絵図資料)、文献資料から検討することが中心。
3、実物がないため、考古学成果に期待しているのが現状。上部構造が分からないので、建築史に過度の期待をもたれても困惑する。一緒に考えたい。



この要点にあるように、各分野ともに模索している段階であり、安易な資料のすりあわせは間違った理解を生む可能性を持つと言えよう。

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