うだ話51


     うだ話51  建造物の調査・・・その1例

これまで長い間、建築史の先生方にご意見をいただいておりました。町並調査や神社仏閣の調査などもお願いして、報告書も作成してきました。その中でお話している限りでは、非常に参考になるなと思っていました。

しかし、調査対象が近世になり、農家などになると、急に失速するというか、はっきりとしたご意見をいただけなくなり、「あれ?」と思っていました。古い時代は建築様式などから年代の判定が可能なようですが、近世ではできないらしいんです。

登録有形文化財の件や旧大庄屋の家屋調査、近世寺院解体修理をとおして感じた点をいくつか・・・。

1、年代
これが私たちにとって一番重要なんですが、基本的に建物からその詳細な年代は判断できない。今に残っているモノなので、近世頃に建てられたことは間違いない。建て方からしても近世。でも、わかるのはそこまで。逆にこっちが聞かれます。「普請文書や棟札などから、建築年代がわかりませんか?」と。

この段階で私たちは「え?」となります。それらの文字資料がないので、調査をお願いしているのであって、それを私たちに聞かれても「困るな・・・!」。

古い時代の寺社に関しては、国宝や重要文化財としていろいろと実物が残っているので、その実物の変遷から、建築様式がわかり年代はほぼ言えるみたいです。私たちの市には国宝の建造物があり、「平安時代の様式を残す鎌倉時代の建物。」との評価がされています。

でも、近世ではこれができないようです。文字資料がないと判断できない。

2、部材の観察
上記とも関わりますが、解体した建物の部材を観察するとき、なにを一番に観察するかというと、柱に書かれた墨書です。厳密に言うと、大工が部材を作ったときの「番付」。「東一番」など、この部材はここだよって指示しているモノ。設計して部材を作るのは大工の仕事ですが、現地で実際に組み立てるのは鳶(とび)の仕事なので、職人に対する指示書きです。これは筆であったり、墨壺と一緒に使う墨サシで書いています。これを一所懸命観察記録して、番付のあり方や字体から、それが何組あるか検討して、建築当初から改修の回数、現在までの変遷を見ていきます。

次に見るのが釘打の回数。種類や位置関係から、何組の釘打の痕跡、釘があるか探して、建物の変遷を検討します。

その次が転用材の検討。柱であったものが他に転用されている。転用されているものは、ホゾ穴などをみていき、もともとどこに使われていたか検討します。同じ建物である場合は、はじめこっちで使われていたものが、あっちに移動され別の部材として使用されている等、これも変遷の手がかりになります。

その他はどうかというと、継ぎ方を観察する。梁なんかにくる材はもともとの木の長さでは建造物としては足りないので、必ず継いで使います。その継ぎ方を見ていくのですが、特殊なものだけよく観察する。

ほぼこれだけで、建物のあり方を検討するんです。部材の詳細な加工痕はあまり検討しない。杣(そま)はつりはこの面、縦引き鋸による分割はこの面で終わり・・・。

3.驚いたこと。
その1・・・
普通、発掘調査で出土した材木の場合、細かなところまで観察して、加工痕の前後関係まで見ていきます。出土するのが少しの材だけなので、観察しないことには何に使われていたかわかりません。材木が出土すること自身非常に稀なので、土器などと同じ手法で大事に観察します。

しかし、されないんですね建築のほうでは。今まで建物があって、それを解体したので、使用されている場所や何の部材かわかるので、しなくていいのかもしれませんが、これにはほんとにびっくりしました。

上記のような観察では、ほんとに大まかな変遷しか理解できません。観察に基づいて想定された変遷を聞いていても、よくわからない。挙句の果てに、「これだけではよくわかりませんので、棟札等の文字資料の発見に期待しましょう。」とのこと。結局文字資料に頼る?

おいおい、もうちょっと部材の細かな観察をすれば、もうちょっと細かな変遷がわかるやんか!なんでせえへんのん?っと。十分な観察もせずに、安易に文字資料に頼るなよ・・・!と言いたくなります。

その2・・・
瓦。解体まで葺かれていた瓦をおろすときに、番号を付けて位置関係を記録しながら行います。その後、瓦の詳細な観察をするのかと思うと、しない。確かに観察はするのですが、簡便な観察しかしない。考古学が特殊なのかもしれませんが、こっちが見ていてはらはらするような分類しかしない。

よって、「瓦の調査は行政側でします!」と宣言しちゃいました・・・。それからが大変。担当職員が日参して、一枚一枚法量、瓦当文様、調整方法を観察、分類。その結果、その建物には、17世紀前半ぐらいから、昭和の小修理まで約400年にわたる瓦が残っていること、刻印や分類別の瓦量からして18世紀後半以降のある時期に大幅な葺き替えを行っていることがわかりました。

そのことは建築側にも報告していたんですが、ぶんかちょうに解体の概要を説明する時に、建築側は「瓦はたいしたことなく、年代はわからない。」と。瓦調査の担当は激怒して、大きな声で反論していました。







結局、簡単な観察だけして、安易に文字資料に頼る?こりゃだめだ!と叫びたくなるような感じ。ほんと共同(監視?)しながら作業を進めないと、トンでもないことになるな〜との感想です。

以上、非常にまとまりのない話になりましたが、直接見たことに対しての感想です。驚きばかりで、頭が混乱するばかりというのが文章に出ていて逆にいいかも?と、このまま「うだ話」にしました。
(とっかかりは建造物全般のことのつもりでしたが、内容のほとんどは重要文化財半解体修理のこと?)ひょっとして文○協さんだけの問題?

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