うだ話53 | ||
うだ話53 研究の二つの道
以前、上司と話したことです(この上司はバシバシの縄文時代研究者)。研究には大きく分けて2つある。一つは真実を追究すること、もう一つは新しい方法論を開拓すること。古墳時代の軍事集団のことが発端になってこのような話になったのですが。
古墳から出てきた武器、武具で軍事集団を復元して論文書いて、学位取得した方がいますが、あの内容っておかしくないですか?がスタートです。
確かに内容は賛同しかねる所もあるけれども、限られた遺物から当時の軍事集団について考えるための新しい方法論を打ち出した所に価値があるのであって、その業績で学位が与えられた。それは充分な価値があるよとの回答をいただきました。
でも、これには賛同できません。これって単なる自己満足?
たとえば、医学でこんなこと許されます?新しい治療法確立のために、思いつき(適切な言葉ではありませんが)で、新しい術式をやってみた。結果、患者は・・・。ダメでしょう?
軍事集団の研究に対して異議を唱えたのも、内容見て、言葉遊び、自己の理論に酔っていると感じ、またそれによって、間違った結論にいたっていると感じたからです。間違っているは極端ですが、それで結局真実は分からない。
最近、はやりですよね理論や認知。私には、あれは単なる言葉遊びにしか見えません。方法論の確立に意義があると言われても、その先に間違った結論があるものは納得できない。
言葉遊びをするなら、真実を追究する分野ではなく、違うところででやればいいのではと思います。
よって、私の中で「方法論の確立だけ」というものは研究とは考えていません。「言葉遊び」はうんざりです。
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