うだ話43


     うだ話43  「考古学の新聞報道のコメントのあり方」に対するコメント

山口昌美「考古学の新聞報道のコメントのあり方」
考古学研究会「考古学研究」51−1 2004

山口氏がこれまでBBS他で言及されてきたことの集大成の様な気がします。この文章を読んでの素直な気持ちと若干の実態を書きたいと思います。

全体を読むと三部構成を取っているようです。
1、新聞コラム騒動を発端とした報道他のあり方
2、考古学の論文、学会のあり方
3、考古学の信頼回復のための提言
では順に思うところを述べます。


基本的に考古学報道はほとんど存在しません。日々新聞紙上を賑わしているのは、埋蔵文化財の発掘調査結果です。「**遺跡で銅鐸がみつかった。」、「++遺跡で環濠集落がみつかった。」など。本サイトで言っているように、埋蔵文化財発掘調査と考古学は似て非なるものです。発掘調査は考古学手法を用いて遺跡を調査するものであって、そこから発生するものは調査結果でしかありません。たとえば、「++遺跡で環濠集落がみつかった。」は「++市に−−町がある。」程度のものであって、事実を出したまでのことです。これは学問ではありませんよね。

本当の考古学報道は、「これまで地道に調査を重ねてきた++氏が、土器や遺構を精緻に分析した結果、この地域の大きな勢力者の存在を明らかにした。」など、事実を積み上げて分析した結果が紹介されることを言うべきです。これはたま掲載されますね。よって「ほとんど」と書いた訳です。

次に、新聞報道のあり方。この辺は、私の勘違い、思いこみもあると思いますので、その場合、当時をご存知の方に訂正していただければ幸いです。

高松塚古墳から始まる大々的な文化財報道。絵になる、おもしろい、読者の興味が引けると考えた報道機関。原因者負担の行政指導という貧弱な慣例(制度ではありません。)でしか調査できない現状を何とかしたい。この2つの想いが合体したとき、今の記者発表のあり方ができあがったと考えています。よって、自然にできたものではなく、それぞれの思惑の中から生み出されてきたものと考えています。「情報発信の面で恵まれている。」とありましたが、発達させてきたものです。

第三者のコメント。これがなかなかくせ者です。現地なり、実物を見ていない人が、記者からの電話連絡で概要を聞いて、コメントしている場合が非常に多い。これを信用できるかといえば否ですね。(聞かれたご本人も困惑する場合が多い。答えない人もたまにいます。)実物をみてちゃんとコメントしてても、記事の関係で省略する、書き換えるは頻繁に行われています。この辺は、発表するサイドからはどうしようもない。

経験で言うと、記者発表で連呼して説明したその遺跡発見意義を全く違う内容で書かれる。現地を見てご意見をいただいている先生はこの方々ですって紹介しているにもかかわらず、ぜんぜん違う人の意見が掲載され、目が点になったことが何度か。先生に直接B5一枚分のコメントいただいて記者にくばったのに、掲載されたのが1行だけ。などなど。(だいたい、私が記者発表したものは、最古、最大ではなく、「地域史の中ではこう位置づけられます。」という発表が多いので、ほとんど掲載されませんが・・・。)これらの経験から、新聞報道すべてが信用できないとの意見にまで達した時期があります。今でも、基本的には現地を確認していないとおぼしき第三者のコメントは信用しません、読みません。

新聞にある第三者の発言は、仮定の積み上げでも仮説でも理論でもなく、単なるその人の感想の一部が掲載されたとご理解いただきたい。

さて、これからが本論。論文のあり方ですが、文系の研究のあり方はこれが基本です。考古学だけでなく、文献史学もです。私の狭い器量で確認した範囲では経済学もそうです。政府発表の統計なりをそのまま使用し、モデル論を組み立てる。もとの資料を批判せずに使っているのにはビックリしましたが。(政府発表なりの資料は様々なマジックが潜んでいます。少子化の数字もどうやって出したのか怪しいものです。GDPが良くなっていても、消費者所得が上がっていないなんて例は良い例では?)経済学なんて、ホントに世間で実験したら経済がめちゃくちゃになって大問題ですよね。実験できない学問分野は、ほとんどご指摘のとおり、調査なりの資料があって、それを積み上げて論を展開する。

研究をする場合は、この辺非常に気を付けます。本当に調査があっているのかどうか常に批判的にみる。一次資料の正確さの確認は常に行っているつもりですが、この辺ご理解いただけないのであるならば、もっと研鑽が必要ですね。確かに一次資料をちゃんと資料批判してるか?と疑問に思う人もまま見受けられますので、ご指摘のとおりか。

一般向けの単行本については、すでに学問領域を離れていますので、執筆者の良心に訴えるしか方法はないように思います。ただ、一次資料に気を遣うあまり、おもしろみに欠けるとの編集者の批判は免れませんが・・・。

51−1に新納氏によって、広瀬単著批判文が掲載されていますので、このような形でどんどん批判を加えていく方法はとれます。(広瀬氏は最近他でも批判されています。広瀬和雄『日本考古学の通説を疑う』を疑う。

無審査論文の駆逐。確かに、無審査論文にはトンデモ説や資料操作のおかしいものが多く含まれているようです。ただ、審査論文であったとしても、「石(玉に対する)」もしくはそれ以下のものも存在すると考えています。本サイトで私が発言したように、事実誤認や資料集成ミス、前提条件や分析目的が明らかにおかしいものが多数存在します(一次資料をちゃんと批判していない人が存在するということ。)。逆に無審査論文で、小さい範囲を対象として、こまめに資料を踏査して地道に分析をされている良い論文も多く存在します。要は審査、無審査関係なく、論文の中身が問題なのです。今の制度では、審査論文を増やすのが一番早道かもしれませんが、それだけではないということです。

学会のあり方。まず、私の知っている範囲でいいますと、DNA考古学研究会、動物考古学研究会は学会ではありません。その名のとおり研究会です。動物の方は昨年学会組織にするか会員にアンケートがありました。

日本考古学会、日本考古学協会や考古学研究会などメジャー系他に様々な研究会があるのは、ご指摘のとおり問題があるのは確かです。ただ、団結して分科会になったところで、問題は解決しないような気がします。シカの件で、動物学系の学会の発表、雑誌を調べたことがあります。大きな学会に分科会的に小さな研究会が付随していて、同じ学会会場で発表会は行っていますが、冊子は刊行していない、発表レジメの在庫はないという状況でした。この状況になるなら、今の状態より悪くなります。

確かに情報収集という意味では苦労も多いですが、これだけやってる人が多く、内容も多彩な状況では単純にまとめることは不可能に近い。別の方法を模索する必要があると思います。このままも視野に入れて。

野放しの推理ルール。この「野放し」という言葉は悪い表現ですが、的を射た表現なので、何とも苦笑します。「考古鑑識学」と「考古推理学」の2つに分類されて展開されています。もともと、日本の考古学は「鑑識学」のみといっても過言ではありません。土器、石器の型式分類、編年は精緻を極めるにもかかわらず、その奥にあるその変化の意味や人、心の動きについては、全くといって言及できない。蛸壺が沢山で出土して「蛸壺の祭祀です。」って言われたときは目が点になりました。大学でもものの理解以外はほとんど教えてないような気がします。「認知考古学」を提唱されている方々は、大学で実践されているかもしれませんが、あれもまだ模索の段階といえます。 よって、まさに「推理学」、学ではなく単なる推理かもしれません。訓練されたことがないのですから・・・。

「信頼回復への提唱とおわりに」については、全体のまとめなので意見はありません。

以上、山口氏への説明とも言い訳ともとれる文章になりましたが、日を置くとぼやけて書く気がなくなってしまいますので、この状態であえて公表いたします。山口氏のご発言はいつも参考にさせていただいておりますし、非常に感謝しております。


私自身が「大雑把にしていい加減だから・・・」と思っていますので。ご批判なり、無視なり、何なりと・・・。

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